トップページ 本部・支部 書籍等
天津鞴韜

忍法

柔術

流派

唐手

護身術

中国拳法

子供
柔術






 流派紹介




   はじめに

   流派

   術技目録

   術技紹介

   組織の称号

   入門について
 浅山一傳流史略
 浅山一傳流は、元来剣術・柔術を中心に、小太刀・鎗術・鎌・忍術・捕手・棒術・
 手裏剣等を総合して「浅山一傳流体術」と称した。


流派

 開祖は、浅山一傳斎重晨(幼名三五郎、後に内蔵助)で、永禄九年(丙寅1566年)正月元旦、丹波の國氷上・
 天田両郡七万石の領主、赤井悪右衛門景遠の軍師、浅山玄蕃源吉忠一了斎の三男として生まれ、十二歳の
 時不動明王の霊夢により妙術を悟り、浅山一傳流を唱えたと云う伝説有り。
 後に此の流会津藩に伝わり、会津藩の家老田中家に代々伝承され、明治年間に第十二代田中保より大倉
 久次郎直行に傳授された。第十三代大倉直行は背丈四尺八寸、体重十一貫足らずの小兵であったが、達人で、
 東京小石川に道場が有り、講道館の加納治五郎とも親交が有ったと云う。
 大倉直行の門人永沼経行は、道統を継ぎ第十四代を継承した。
 永沼経行は、次男良行に十五代を譲り、経行高弟の上野貴が十六代を継承した。
 昭和二十九年(1954年)十二月吉日、佐藤金兵衛は上野貴より浅山一傳流体術・逆取棒術第十七代の継承を
 受けた。上野貴の代に絵目録による伝書が作製され、この流大いに伝播した。
 平成二年(1990年)十二月吉日、種村匠刀は佐藤金兵衛より第十八代目を継承した。


流派

 当流は、元は天之巻(剣法)・人之巻(棒術)・地之巻(体術)と三巻の巻物があったが、永沼伝は地之巻と挫伝と
 棒術・剣術の口伝のみが残った。地之巻(体術)では、上段之位・中段之位・下段之位・奥傳之位・居取之位と
 あるが、当門流では、初傳・中傳・奥傳・免許・皆傳印可と分けて伝書と共に伝授し、かつ免許皆傳者には巻物を
 授与する事としている。また宗家継承者には秘術裏型と共に秘傳・口伝等が伝授される。