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 義鑑流骨法術史略

 元来義鑑流骨法術は不伝の術にして、流祖は永禄年間(1558〜1570)の
 人で、瓜生判官義鑑房と云う。義鑑房は、河内國瓜生城の城主で、武骨一辺
 倒の士であったが、元来戦う事を好まず常に和を以て君国の為に尽くさんと
 する勤王の士であった。故に、始めに「武風に先手無し」と戒めを書いて教えと
 した。義鑑流は、義鑑房によって、その昔中国の姚玉虎と云う者から渡来した
 中国武術より工夫を加えてあみ出されたもので、拳・蹴り・投げ技等を含み、
 初伝・中伝・ 奥伝・皆伝等に別れ、順を追って伝授される。昔は柔術と云う名称
 がなく、骨指術・骨法術・打拳体術等と称していた。義鑑房の骨法は、一拳太刀
 を折りしと云 う程で、骨法術・飛鳥術・銛盤投(鉄板投)等の達人であった。

 義鑑流第十代、瓜生義鑑房(二代)は、王政復古の魁にして勤王の志士で
 あった。文久三年(1863年)八月十七日に起こった吉村寅太郎等の天誅組の
 乱に、河内より立って加わり、大和高取城攻略の際、大いに敵を悩まし、敵中に
 於いて鉄砲傷を受け、右片腕のにみて斬り込みしが数個所の刀傷を負い、
 退き、奈良坂に於いて倒れ居る処を、同じ勤王の志士、石谷松太郎隆景に救わ
 れた。石谷松太郎は伊賀より天誅組に加入せんと来る途中であったが、最早
 天誅組敗れたるを聞き、義鑑房を連れて一時古寺にて養生の後、伊賀に逃れ
 た。石谷松太郎も高木揚心流・九鬼神流等の皆伝を許された武術の達人で
 あった。かような縁により松太郎は義鑑房から不伝の術、義鑑流骨法術を伝授
 されたのであった。

 明治年間、明石の高松壽嗣翊翁の父の経営する燐寸工場に石谷松太郎が勤務していた縁により、
 壽嗣はこの不伝の術、義鑑流を松太郎より学び、高木揚心流・九鬼神流等と共に宗家伝を許された。

 佐藤金兵衛清明、縁あって高松壽嗣に学び、高木揚心流柔術および九鬼神流棒術の免許皆伝を
 昭和二十七年(1952年)六月に伝授せられ、 昭和三十八年(1963年)一月に義鑑流骨法術十三代
 宗家を継承する事を許された。義鑑流骨法術の術技内容は一切公開された事がなく、伝書も佐藤金兵衛
 以外に所持する者はなく、巷間「幻の義鑑流」と云われていた。佐藤金兵衛も、故高松壽嗣の師伝を守り、
 種村匠刀以外には一切公言、伝授しなかった。

 平成元年(1989年)十一月、種村匠刀は、佐藤金兵衛より、義鑑流骨法術の全技皆伝ならびに秘伝書の
 全てを伝授され、第十四代宗家を継承する事を許された。


流派

 術技内容は、初心者型として飛倒・搾倒・蔭倒等十二本、初伝型として抑打・抗跋等十三本、中伝型十二本、
 奥伝型十本、及び口伝練習型や皆伝型等々がある。

 代系については、次の通りである。

 @瓜生判官義鑑房 - A瓜生判官義近 - B瓜生鑑瑞 - C瓜生信義 - D瓜生天海房 - E瓜生義太郎秀近 -
 F瓜生宗海房 - G瓜生信海房 - H瓜生義海房 - I瓜生義鑑房(二代)−J石谷松太郎隆景 -
 K高松壽嗣翊翁 - L佐藤金兵衛清明 - M種村恒久匠刀