虎倒流骨法術史略
唐の李鳳貞(女性)は、骨指術・飛鳥術・銛磐投術の達人なり。李鳳貞は、
姚玉虎(女性)にその術を伝えた。姚玉虎は玉虎流骨指術の遠祖なり。
姚玉虎は張武連にその術を伝え、張武連はその息子張武勝に伝授した。
のち故ありて、張武連は、漢国(唐の殷)に帰化す。
我が朝天智天皇2癸亥年(663)9月、唐の殷王旭輪の臣孫仁師李義、
百済と戦う。百済王餘豊は高麗に敗走す。
同じく百済王(別伝に百済の武将)張武勝は、従者とともに日本に逃れ来る。
張武勝は、骨指術・飛鳥術・銛磐投術・薙刀術・漢国十八型・唐打術の達人
であり、これを我が国に広めた。この子孫が坂上田村麿との伝説あり。
後に、保元元年源為義の部将であった源式部丞朝行は、伊賀の岩尾山に
逃れ法玄仙人と称し、姚玉虎が虎を一拳で倒したという説話から虎倒流
骨法術と名づけた。虎倒流骨法術は、天文年間の百地三太夫から伊賀流
忍術者の秘伝武術として伝えられた。
李鳳貞〜張玉虎〜張武連〜張武勝・・・法玄仙人・・・坂上太郎国重〜
坂東小太郎源正秀〜僧玉観律師・・・百地三太夫・・・戸田盛柳信綱・・・
戸田真龍軒正光〜高松壽嗣翊翁