当ホームページですでに紹介されているよう、玄武館及び国際柔術連盟の各級・段術技は古くから伝わる流派で形成されています。ここで各流派をより詳細に紹介します。

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各流派の紹介や流派稽古についての詳細は右側のメニューよりご覧になれます。。

最終更新 2008.04.07 17:19

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当道場では基本的に柔術参段より個別に各流派の免状取得機会が与えられます。しかしどうしても流派に専念したい場合は国際柔術連盟の一級試験に合格すれば、浅山一傳流初伝免許をはじめとする各流派の免許を目指すことができます。



性別・年齢・国籍等、一切関係なくどなたでも入門ができます。
入門ご希望の方は本部道場またはお近くの支部道場までお問い合わせください。

体験稽古について
見学も可能な場合もありますが、基本的には体験入門(3ヶ月)という形で参加して頂きます。実際に稽古してみてから継続するかどうか考えて下さい。支部によっては、無料体験稽古や見学自由の場合もありますので、直接問い合わせて下さい。
本部道場の連絡先はこちら

入門料・月謝・ について
入門料(入会費)は10,000円です。この中には会員証代・ワッペン代・テキスト代・年間団体傷害保険料等が含まれております。なお、玄武館世界忍法連 盟の会員が重ねて国際柔術連盟の会員となる場合には、国際柔術連盟の入門料(入会費)はプラス3,000円です。月謝は基本のコース(例えば忍法体術)が 6,000円、その他の各コース(例えば秘剣術・棒術・中国武術等)がプラス3,000円となります。
なお、入会当初は、入門料(入会費)に加えて月謝を3ヵ月分前納していただきます。年会費及び年間傷害保険料は、入会時に含まれておりますが、その翌年からは毎年3月末までに一定の額を納めていただく事になっております。
本部道場の場合、このホームページを見て入門される方には、特別に入門料(入会金)を半額の5,000円とさせていただきます。

子供の場合
本部道場子供クラス(中学生以下)の場合は、入門料が一万円、月謝が3000円です。兄弟姉妹で入る場合は、一人の入門料が5000円、月謝が2500円と割引になります。子供クラスについてはこちらをご覧ください。

支部道場への入門について
入門料や月謝などの詳細についてはお近くの支部道場まで直接お問い合わせください。 体験稽古・入門については直接お近くの支部道場までお問い合わせください。
本部道場を含む、各道場連絡先はこちら

各入門書のダウンロード



義鑑流骨法術史略
元来義鑑流骨法術は不伝の術にして、流祖は永禄年間(1558〜1570)の人で、瓜生判官義鑑房と云う。義鑑房は、河内國瓜生城の城主で、武骨一辺倒の士であったが、元来戦う事を好まず常に和を以て君国の為に尽くさんとする勤王の士であった。故に、始めに「武風に先手無し」と戒めを書いて教えとした。義鑑流は、義鑑房によって、その昔中国の姚玉虎と云う者から渡来した中国武術より工夫を加えてあみ出されたもので、拳・蹴り・投げ技等を含み、初伝・中伝・奥伝・皆伝等に別れ、順を追って伝授される。昔は柔術と云う名称がなく、骨指術・骨法術・打拳体術等と称していた。義鑑房の骨法は、一拳太刀を折りしと云う程で、骨法術・飛鳥術・銛盤投(鉄板投)等の達人であった。

義鑑流第十代、瓜生義鑑房(二代)は、王政復古の魁にして勤王の志士であった。文久三年(1863年)八月十七日に起こった吉村寅太郎等の天誅組の乱に、河内より立って加わり、大和高取城攻略の際、大いに敵を悩まし、敵中に於いて鉄砲傷を受け、右片腕のにみて斬り込みしが数個所の刀傷を負い、退き、奈良坂に於いて倒れ居る処を、同じ勤王の志士、石谷松太郎隆景に救われた。石谷松太郎は伊賀より天誅組に加入せんと来る途中であったが、最早天誅組敗れたるを聞き、義鑑房を連れて一時古寺にて養生の後、伊賀に逃れた。石谷松太郎も高木揚心流・九鬼神流等の皆伝を許された武術の達人であった。かような縁により松太郎は義鑑房から不伝の術、義鑑流骨法術を伝授されたのであった。

明治年間、明石の高松壽嗣翊翁の父の経営する燐寸工場に石谷松太郎が勤務していた縁により、壽嗣はこの不伝の術、義鑑流を松太郎より学び、高木揚心流・九鬼神流等と共に宗家伝を許された。

佐藤金兵衛清明、縁あって高松壽嗣に学び、高木揚心流柔術および九鬼神流棒術の免許皆伝を昭和二十七年(1952年)六月に伝授せられ、昭和三十八年(1963年)一月に義鑑流骨法術十三代宗家を継承する事を許された。義鑑流骨法術の術技内容は一切公開された事がなく、伝書も佐藤金兵衛以外に所持する者はなく、巷間「幻の義鑑流」と云われていた。佐藤金兵衛も、故高松壽嗣の師伝を守り、種村匠刀以外には一切公言、伝授しなかった。

平成元年(1989年)十一月、種村匠刀は、佐藤金兵衛より、義鑑流骨法術の全技皆伝ならびに秘伝書の全てを伝授され、第十四代宗家を継承する事を許された。


術技内容は、初心者型として飛倒・搾倒・蔭倒等十二本、初伝型として抑打・抗跋等十三本、中伝型十二本、奥伝型十本、及び口伝練習型や皆伝型等々がある。

 代系については、次の通りである。

@瓜生判官義鑑房 - A瓜生判官義近 - B瓜生鑑瑞 - C瓜生信義 -
D瓜生天海房 - E瓜生義太郎秀近 - F瓜生宗海房 - G瓜生信海房 -
H瓜生義海房 - I瓜生義鑑房(二代)−J石谷松太郎隆景 -
K高松壽嗣翊翁 - L佐藤金兵衛清明 - M種村恒久匠刀

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玉虎流骨指術史略 玉虎流は骨指術として有名であるが、本旨は玉虎流忍法であり、白雲流忍法を本流とするものである。但し、骨指術としては我が国最古のもので、殆どの忍法体術の根本となっている。また、古くは指頭術とも称した。

玉虎流骨指術より、虎倒流骨法術、玉心流骨法術・義鑑流骨法術、甲賀流五十三家、伊賀流三十八家等々、みなこれを骨子としているとの故高松先生の伝である。

玉虎流の遠祖は、中国の異匂とも、また姚玉虎とも言われている。これより牙門道士−牙龍道士−八龍入道−戸沢白雲斎〜百地三太夫から代々戸田家に伝承され、明治年間に戸田真龍軒より高松壽嗣に伝えられた。

玉虎流の祖八龍入道は敵の剣を打ち落とす為の秘器として距抜渉毛と云う金属輪を付けた紐を用いた。距抜渉とは、「山野等を跋渉する、駆け巡る」あるいは「高く飛び上がる」と云う意味であるという。このヒモは女性の髪の毛で作り、この紐が後に鎖となり、分銅と鎌を着けて「鎖鎌術」となったのはよほど後世のことである。

八龍入道五代の祖戸隠大助が「戸隠流忍術」と称し、距抜渉毛のヒモに○○と○○(○○部は口伝)とを両端に付けて忍術の秘器とし、これにて自由に姿を消したと云う。また玉虎流忍法では、常に二個の玉を持ち、これにて忽ち姿を消すと云う点に特徴がある。

玉虎流骨指術は、敵に対するも大いに和して行き、争わず、最後の極まで笑って迎え相手にせざる心備えを肝要とし、一旦戦う時は、相手方を近づけずに我が身を護り、それでも相手方が近づいて来たならば止むを得ず忽ち倒す術である。

玉虎流では、練習の時は「天略宇宙合掌」礼を行う。これは、天の萬化自然・龍虎相和すと云う事を意味する。実戦の時は、天略・地略・人略と云う三才の法にて行う。また合掌法には金剛・水輪・火風の三寳合掌と云うものがある。これは虎倒流骨法術でも同様である。

構え方基本としては、「三段構え」と云うものがある。骨指拳と云う拳構え及び用法としては九法あり、蹴りとしては三法がある。骨指体変術としては、龍変・虎変・豹変の三種がありこれがそれぞれ三通りに分かれて九法となる。

基本体変術としては、一文字・飛鳥・十文字の三法がある。本流の型としては、「骨法三略秘伝」として、上略・中略・下略の三巻に分かれている。この他に位取・神心神限・天門地門等の秘伝・口伝がある。

口伝必勝法に「虚変の術」と云うのがあるが、故高松壽嗣は亡くなる一年前に、種村匠刀が会った時にこの秘伝を伝授した。

玉虎流及び虎倒流における戒めとして「九禁の条」がある。

一、忍の一字を以て君国に報いる。
二、己れと云うものを除外視して忍耐せよ。己れ死を以て後日の憂いを残さず。
三、いよいよ危険が迫る時、何事も言わず、一切の証言を残さず。
四、強敵が来るとも不動心を知れ。
五、師や親に対して、我が身を以てつくす。
六、色欲に溺れる者は、術力を失う恐れ有り。
七、酒に溺れる者は、術力が利かなくなる。
八、敵に対しは戦闘力を奪い、命を奪わない事。
九、許可なくして他伝許さず。
右の九ヶ条確守を誓う事。


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虎倒流骨法術史略
唐の李鳳貞(女性)は、骨指術・飛鳥術・銛磐投術の達人なり。李鳳貞は、姚玉虎(女性)にその術を伝えた。姚玉虎は玉虎流骨指術の遠祖なり。姚玉虎は張武連にその術を伝え、張武連はその息子張武勝に伝授した。のち故ありて、張武連は、漢国(唐の殷)に帰化す。

我が朝天智天皇2癸亥年(663)9月、唐の殷王旭輪の臣孫仁師李義、百済と戦う。百済王餘豊は高麗に敗走す。

同じく百済王(別伝に百済の武将)張武勝は、従者とともに日本に逃れ来る。張武勝は、骨指術・飛鳥術・銛磐投術・薙刀術・漢国十八型・唐打術の達人であり、これを我が国に広めた。この子孫が坂上田村麿との伝説あり。

後に、保元元年源為義の部将であった源式部丞朝行は、伊賀の岩尾山に逃れ法玄仙人と称し、姚玉虎が虎を一拳で倒したという説話から虎倒流骨法術と名づけた。虎倒流骨法術は、天文年間の百地三太夫から伊賀流忍術者の秘伝武術として伝えられた。

李鳳貞〜張玉虎〜張武連〜張武勝・・・法玄仙人・・・坂上太郎国重〜坂東小太郎源正秀〜僧玉観律師・・・百地三太夫・・・戸田盛柳信綱・・・戸田真龍軒正光〜高松壽嗣翊翁

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九鬼神流柔術史略
古くは天津鞴韜九鬼柔体術とも称され、石谷松太郎の時代には無心無想流とも称されたが、高松壽嗣は九鬼神流柔術として補足・整備し、一番弟子の木村正治に伝授した。


術技内容としては、起本九本、初伝十三本、中伝八本、締技八本、体技十三本、奥伝(無刀捕表裏十六本・無双捕九本)、免許(九活之法・勝身之法・自我念力必勝法・扇子捕十八本・不動神妙録・調形十二本)、皆伝(潜形二十本・皆伝秘法―破術之法・遠当の術・気合気死之法等)、別巻龍之巻等がある。


伝系は次のとおりである。
九鬼弥五郎澄隆―大國鬼平源久良―有馬大助忠明―有馬河内介正義―栗山右近源長房―細谷新八郎幸久―木村一刀斎兼介―木村夢想軒忠助―大隅志摩守之行―伊庭登太郎―藤木八右衛門錦石―戸田源八郎信正―荒木多門介正澄―小笠原丹後守直久―竹内五郎兵衛助定―喜多三郎兵衛正虎―加納虎太郎源義広―一柳数馬―一柳織部―今川久太郎―石谷松太郎隆景―高松壽嗣翊翁―木村正治源正勝―種村恒久匠刀

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本體九鬼神流棒術史略
初代高木折右衛門は九鬼神流棒術を会得し、高木流の棒術となっていたが、高木流四代目の大國鬼兵重信の時に、鬼兵伝の九鬼神流棒術が改めて組み込まれ、以後、柔術は高木楊心流を、棒術は九鬼神流を称え、正式相伝者(宗家)には、九鬼神流棒術と本體楊心高木流柔術が併伝される事となった。

九鬼神流棒術には、高木系の本體九鬼神流棒術や、天真兵法九鬼神流系の棒術、九鬼尚武局系の九鬼神流棒術、九鬼神傳八法秘剣術系の棒術等があるが、いずれも種村匠刀が継承あるいは伝授されている。

古伝・本伝として、六尺棒術が二十三本。半棒術が六本。免許之巻として、口伝八項、死穴生穴之図、殺活經之図。皆伝之巻として天津鞴韜槓技之巻等がある。別伝として、六尺棒初伝・中傳・奥伝・免許・皆伝、及び半棒秘抄遍、杖術等がある。


伝系
木折右衛門重俊―木馬之輔重貞―木源之進英重―大國鬼平重信―大國八九郎信俊―大國太郎太夫忠信―大國鬼兵衛良信―大國與左衛門定良―中山甚内定秀 ―大國武右衛門英信―中山嘉左衛門定賢―大國鎌治英俊―八木幾五郎久吉―石谷武甥正次―石谷松太郎隆景―高松壽嗣翊翁―佐藤金兵衛清明―種村恒久匠刀(十八世宗家)

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九鬼神流棒術(尚武局系)史略
藤原鎌足より37代の後裔で、熊野別当薬師丸蔵人隆眞は、延元元年(1336年)、後醍醐天皇を吉野より救出したる功により、後醍醐天皇より九鬼(クキ、正しくはクカミ)姓を賜る。

この救出の際、足利尊氏軍と薙刀にて戦うに、薙刀の尖頭の部分が切落とされ六尺の柄の部分のみが残った。隆眞は、神伝の九字を切り、残った柄の部分の棒にて防戦し、難を逃れた。隆眞、この時の棒の術より工夫し、九鬼神流棒術を完成した。


隆眞より16代継承者の高松壽嗣源鬼角は、この棒術を木村正治、秋元文雄、辰田安一郎、木葉幸四郎、佐藤金兵衛、上野貴等に伝えた。

大正8年(1919年)春、九鬼家の庇護の下、第16代九鬼神流棒術宗家の高松壽嗣は同じ石谷松太郎(第15代宗家)門下の岩見南学(太刀陰流)と共に尚武局を設立し、棒術と柔術を主体に指導を始める。

高松門下の木葉幸四郎は、大正11年(1936年)12月に「九鬼神流武術叢書大日本護身術第一編棒術」と題する本を出版し、九鬼神流棒術尚武局型の普及に努めた。木葉幸四郎は、武田流合気柔術43世宗家の大庭一翁に教授し、大庭一翁は武田流44世の佐藤金兵衛に教授した。佐藤金兵衛は木葉幸四郎の師である高松壽嗣より改めて九鬼神流棒術の免許皆伝を授かり、武田流の最高奥義口伝と共に種村匠刀に伝授した。種村匠刀は、高松壽嗣の最高弟である木村正治からも九鬼神流棒術の免許皆伝を伝授された。

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天真兵法九鬼神流・九鬼神伝天真兵法史略
(剣・棒・槍・薙刀・体術・軍略等)

藤原鎌足より三十七代後裔の薬師丸蔵人隆眞は、後醍醐天皇より九鬼姓を賜り、鎌足以来の家伝の武道兵法を九鬼神傳天真兵法(天真兵法九鬼神流)として伝承した。

高松壽嗣は、消えかかっていた九鬼神傳武術の不備な点を整備し、かつ体系化し、見事に復興し、再興させた。今日の九鬼神傳武術は、高松壽嗣の功績による。


この流儀は、剣術・棒術・薙刀術・槍術・騎射術・築城・軍略・天門・地門等々の広範囲に渡る総合武道兵法である。

巻物・伝書類としては、九鬼宗伝之巻(九鬼秘総之巻)、四天之巻(天真兵法心剣活機論・天真兵法宗門総秘論・天真兵法天門地門遍・天真兵法城築陣営戦略遍)、九鬼神流皆伝之巻(龍之巻・虎の巻・神之巻)、天津鞴韜秘文三十六巻及び別巻九巻等々がある。


伝系
薬師丸蔵人藤原隆眞―大内民部源良兼―大内五郎丸勝重―畠山三郎兵衛正義―大國河内守義家―大國鬼平源久良―有馬大助忠明―有馬河内介正義―栗山右近源長房―細谷新八郎幸久―木村一刀済如水―木村良成源月水―大隅志摩橘正信―伊庭登太郎―石谷松太郎忠明―高松壽嗣源鬼角―木村正治源正勝―種村恒久源匠刀

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浅山一傳流史略
浅山一傳流は、元来剣術・柔術を中心に、小太刀・鎗術・鎌・忍術・捕手・棒術・手裏剣等を総合して「浅山一傳流体術」と称した。


開祖は、浅山一傳斎重晨(幼名三五郎、後に内蔵助)で、永禄九年(丙寅1566年)正月元旦、丹波の國氷上・天田両郡七万石の領主、赤井悪右衛門景遠の軍師、浅山玄蕃源吉忠一了斎の三男として生まれ、十二歳の時不動明王の霊夢により妙術を悟り、浅山一傳流を唱えたと云う伝説有り。
後に此の流会津藩に伝わり、会津藩の家老田中家に代々伝承され、明治年間に第十二代田中保より大倉久次郎直行に傳授された。第十三代大倉直行は背丈四尺八寸、体重十一貫足らずの小兵であったが、達人で、東京小石川に道場が有り、講道館の加納治五郎とも親交が有ったと云う。
大倉直行の門人永沼経行は、道統を継ぎ第十四代を継承した。
永沼経行は、次男良行に十五代を譲り、経行高弟の上野貴が十六代を継承した。
昭和二十九年(1954年)十二月吉日、佐藤金兵衛は上野貴より浅山一傳流体術・逆取棒術第十七代の継承を受けた。上野貴の代に絵目録による伝書が作製され、この流大いに伝播した。
平成二年(1990年)十二月吉日、種村匠刀は佐藤金兵衛より第十八代目を継承した。


当流は、元は天之巻(剣法)・人之巻(棒術)・地之巻(体術)と三巻の巻物があったが、永沼伝は地之巻と挫伝と棒術・剣術の口伝のみが残った。地之巻(体術)では、上段之位・中段之位・下段之位・奥傳之位・居取之位とあるが、当門流では、初傳・中傳・奥傳・免許・皆傳印可と分けて伝書と共に伝授し、かつ免許皆傳者には巻物を授与する事としている。また宗家継承者には秘術裏型と共に秘傳・口伝等が伝授される。

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